ネットライムの優位性

概要

前回記事表記と発音予測のつづき。
活字媒体ならではの利点について論じる。

発音が明示されない

読者の数だけ発音解釈が分かれることは、ネットライムなど活字媒体の持つ制約である。
したがって、作者の意図した韻が読み取られない“不発ライム”となるリスクも高い。

が、同時にこれは読み方を一意に縛られないという自由度でもある。
一致率の低い韻でも繰り返し音読し、どのような発音にすれば韻律が成立するのか――読者ひとりひとりで考えながら味わう余地がある。
韻をじっくり読み取ろうとする読者は、ときに作者が無意識な韻さえ発見できるだろう。

こう考えたとき、ラップは読み方をひとつの解釈に狭めたネットライムともいえる。
発声の仕方が、韻の表現力の上限を決めてしまうこともある。

固定されたリズムからの脱却

ネットライムは小節を意識して書くことも、まったく自由な構成で書くこともできる。
それは文字数を増やしたり減らしやすい――という作詞時の特徴にとどまらず、思いがけないタイミングで韻を登場させるために役立つ。
また、音源化すれば、誰が聴いても常に同じテンポや同じリズムで再生されるが、活字であれば読者の数だけ多様性がある。

制約の力

活字媒体の韻は、ある面で音源における韻よりも広がりと可能性を持った文化だ。

これは、俳句や短歌が歌謡曲とは別の価値を持ち続けているのと同様。
制約は想像力の豊かさにつながる。

裏返せば、発音やテンポが一意に制約される音源媒体にも独自の豊かさが生まれる。

どちらが優れているということではなく、“活字ならではの踏み方”“音源ならではの踏み方”がある。
これを意識しながら接することで、より多様な韻を編み出す力が身に付くだろう。

(文/SIX)

from 韻韻

発声や肺活量などの身体能力で差がつかず、公平に戦えるところもいいね

変更履歴

2017.2.9

2017.8.8

2018.1.23

2019.1.29

2019.2.6

2023.11.29